虚ろに見上げる潤んだ瞳
自由に動かない身を精一杯捻って逃げようとする火照った身体
上気した頬
『コイツ・・・・・なんて無駄にいやらしい身体してやがる。』
───コックが風邪を引いた。
思い起こしてみると、2・3日前からその予兆はあったのだ。
3日前、キッチンの片付けを終えた深夜。 見張りの交代にやってきたコックの声は、少しだけ掠れていた。
昼間寝過ぎて、明け方まで眠れないのはゾロにとってよくあることだ。
その夜 夜半過ぎの交代後も眠ることなくいつものように鍛錬に励んでいたゾロは、翌朝水平線の色が変わり始めても 見張り台から降りてこないコックを不審に思った。
いつもなら…、空が白み始め
朝日が顔を覗かせる頃には。 洗面を済ませ甲板に現れるコックが。
寝ぼけ顔で船縁に立つと、一服しながら海を 空を ひとしきり見つめ。
そして朝日に背を向け戻ってくる頃には、一刻前までが嘘のようにすっきりとした顔をしてキッチンに入り 軽快な包丁の音を響かせている。 そんな頃だ。
ゾロは、明け方船縁でタバコを吸うコック・・・サンジを 割と気に入っていた。
朝日に反射するキラキラした髪と その光に同化してしまいそうな白い輪郭の横顔は、昼間自分と諍いばかりしているコックとは別人で、どこか神聖なものさえ感じさせる。
その儀式とさえ思わせる一服の後、背筋を伸ばしキッチンに消える背中をゾロはもう何度となく見ていた。
やがて微かに響いてくる包丁の音は リズムよくゾロの眠気を誘い出す。
旅に出る前の幼い自分が、微睡みの中でよく聴いていた優しい音。
この優しい音を立てるのが、あの凶暴コックというのがにわかに信じ難いのだが・・・。
なんせ相手は自分を目の敵のように 一日とあけずいちゃもんや喧嘩をしかけてける、足癖の悪い男だ。
が、キッチンには奴しか居ないし、他に包丁をあれほど巧く使える奴もこの船には存在しない事は嫌でもわかっている事実で。
不本意ながらも ゾロを包む優しいリズムはサンジから流れてくるのだ。 コックの存在を認めるようになって そう気付くのに大して時間は掛からなかった。
朝食の支度が終わって、他のクルーが顔を揃える頃には、その音も止み コックはいつものような、僅かに背を丸めたような猫背に戻り、無口だったその口も 女に甘い事ばかり吐くようになる。
その重心をずらしたような独特な立ち姿は
痩身のコックに似合っているのだが、それが何故だか勿体無くて、ゾロは眠気に任せて目を閉じる。
微睡みの中、閉じた瞼の裏では コックがしゃんと背筋を伸ばし、キッチンで野菜を切る姿が浮かぶ。
その目線は手元の素材達に向けられていて、想像の中でさえこちらを振り向く事はない。
・・・・顔見てみぇなぁ、
と、どこかで期待しているが、瞼に映るコックは振り向く事はなく。
それを少し残念に思いながら、軽快なリズムの音の中でゾロは眠りにつく。
───そして。
腹にとてつもない衝撃を受けて目が覚める。
目に映るのは、片口端を上げた薄めの唇にタバコをくわえて こちらを見下ろしている凶暴コック。
微睡んでいる内に 何時も真剣に眠ってしまっているようで、踏まれるまで近づく気配さえ感じない。
・・・・不覚だ。
それでもゾロはそんな時間が嫌いじゃなかった。
一日の始まりから終わりまで忙しく動き回る彼が、一人でいる自分のところに近付いてくることなんて滅多に無いのだ。
ゾロは口で言うほど。 苛立ちで喧嘩するほど。 コックを嫌いではなかった。
───そして食事の時間になる。
それがゾロの常、だ。
なのに今朝はコックが姿を現さない。
太陽も自身を半分水平線に出しているというのに。
空が青を取り戻すのも時間の問題だろう。
(何やってんだ、コックの奴は。)
見上げても光を弾く金色の頭は見張り台には見えない。
見張りが寝ちまったのか? 見張りになってねぇじゃねぇか。
まぁ、どうせ俺が起きてたからいいけどよ…。
あのバカ・・・飯が遅れるとナミに怒られるんだろうが。
そうなると奴は肩を落とし 奇妙な眉をへにょんと下げるのだろう。
寝汚いといわれる普段の自分を棚に上げ ゾロは、「チッ」と舌を鳴らすと、サンジを起こす為にマストに手を掛けた。
「おい、クソコック。 そろそろ飯作る時間じゃねぇのか。」
見張り台の縁から中に身体を乗り出しながら声を掛ける。
「おい…。」
悪態を含んだ言葉が返ってくると思っていたのに、そこから返事は無かった。
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