「海賊船だ〜。」

 チョッパーが見張り台から大きな声を上げた時 まだその海賊船は遠くに見えた。
 だんだんと大きくなる海賊船では 武器を持ち声を荒げる男たちが多数こちらを見ている。
 GM号の大きさと乗組員の人数を見て 明らかに馬鹿にしたような表情を浮かべて。





「おっし、行くぞ。」
 ルフィがまだ距離のある船に手を伸ばすと ゾロとサンジを貼り付けて飛んで行くのをナミは目で追った。
(サンジ君大丈夫かしら・・。)
 痩身の彼は今、尻尾と耳が生え 手は猫のそれになっているのだ。
 それはほんの数週間前、島に上陸した際手に入れた木の実を試食して起こった事。
 その変化を 最初こそ戸惑っていたものの、笑って受け入れた彼。
 彼が試食しなければ クルーは同じようになっていたかもしれない。
 彼によって内側から守られているのを実感した出来事。




 この所大きな船との戦闘はなかったから、ルフィとゾロが敵船で戦い GM号に乗り移って来た敵を蹴散らすのが最近の彼の役割で。
 この姿になってから 本格的な戦闘をする彼を見た事がなかったので不安があった。が、敵船に飛んでいった姿が見えて安堵する。
 強烈な蹴りを繰り出し敵を倒す彼は何時もの彼だ。 要らない心配をしたようだとナミは肩をすくめた。
(じきに雨が降る。あの雲の様子から云って嵐に近いような降りだわ。三人が戦ってる間に出来る限りの用意をしておかないと。)
 ナミはウソップとチョッパーに指示を出すと 今の内にと下味に浸けておいた肉の塊をオーブンに入れ そこをビビに任せて甲板に戻った。
 ビビはサンジが変な実を食べてから元気がない。
 きっとその原因となる実を採ってきたのがビビだったから 気にしているんだろう。
(でもそんなの気にする事ないわ、気にするビビを見て サンジ君が悲しそうな顔をするのよ。ビビの前じゃいつも笑ってるんだけどね。・・・あなたじゃなきゃ、私が、取ってきてたのかもしれない・・。誰の所為でもないの。偶々それがビビだったってだけ・・。トニー君がそのうちいつものサンジ君に戻るって言ってるんだから。ねぇ、ビビ。私は・・悲しそうなサンジ君は見たくないの。 困っているはずのサンジ君が笑っていてくれるんだから ビビも笑っていてよ。)
 ナミは 厚い雲を見て溜息をはいた。










 GM号から三人が敵船に乗り込むと 敵が驚愕の表情に変わる。
 船首ではルフィが ゴムゴムの技で男たちを薙ぎ倒してく。
 船尾では武器を持たないサンジが 脚技で次々と敵を蹴り出し、船尾に程近い中程でゾロが剣を二本構え敵を一掃する。
「ちっ、キリがねぇ。」
 この大きなガレオン船にはこれといった大物は居ないようだが、人数にモノを言わせ海賊行為をしてきた船なのだろう。
 斬り倒しても次から次へと敵が出てくる。
 雑魚相手に刀三本を構えるほどではないが これではキリがない。
「見ろよ!!こいつ尻尾あるぜ。猫人間か!!へへへ、愛玩用の道具にちょうどいい。捕まえろ。」
 船尾の方、喧騒の中から下卑た男の大きな声がする。
 その声はサンジの事を指しているのだろう。
 ゾロにむかっていた敵も僅かだが船尾に移動する。
 ゾロは視線を船尾に向けるが、数だけは居る敵に視界を邪魔されコックの姿は確認できない、がこの程度の族ならコックにとって クソでもないだろう事は 今までに何度も有った戦闘でいやという程知っているのでさっきの声は気にはなったのだが、自分の前に居る敵に没頭する。
 甲板の敵を粗方片付け 船首のルフィを見る。
 ルフィの正面、まばらになった数人の男の後ろに一際図体のデカイ男が居る、あれがこの海賊の頭なんだろう。
 乗組員を盾にして 頭と思われる男は厳つい銃を手にしている。
 こんな情けねぇ、海賊の頭の相手はルフィで充分だと ゾロは船尾に向かった。







 そこで見たのは、血の海に踊るように舞う金髪だった。







 普段、サンジは無駄な殺生はしない。 

 戦い方も 肉弾戦が主で、血や肉は派手に出る様な事もない。
 蹴散らした敵は海に落ちたり距離を飛ばされたりして サンジの周辺は立っている者以外はあまり存在しない。・・・もちろん移動したり、力尽きたりした様な者は別だが・・・。

 今日無表情で蹴りを繰り出している足元には 戦意を失った沢山の敵が重なって倒れていた。

 その上で、サンジは血にまみれて舞っていた。

 手を使わない戦法を意としている彼が 蹴りと共に・・・その手を使って、・・獣の手を使って 敵を切り裂いている。
 一発で致命傷とまではいかないのだろうが 的確に急所を狙う。
 その長くはない爪で 敵を切り裂いていく。
 恐怖に顔を歪める敵に容赦なく蹴りを入れ 体制を崩した首に腕を振り上げる。
 腕が首を掠めたとたん 血飛沫が飛び 降りかかる。
 頭から血を受け顔を上げたサンジと目が合った。
 無表情な中 サンジの目が赤く光った様にみえた。
「?・・・クソコック?・・・気ぃでも触れたか!」
 あれは、コックなのか?
 いや 違う・・・。
 背中に たらりと汗が流れる嫌な感じがした。
「サンジ。」
 ゾロは走りながら三本目の刀を咥えると サンジの周りに残っていた敵を片付けた。
 刀を鞘に戻すと ぽつぽつと雨が落ちてくる。
 輝くような金髪は 今、赤く染まり鈍く色を落とし、色素の薄い頬に飛び散った血が彼の色の白さを際立てるよう。
 黒い毛に覆われた手は 血を吸って今なお赤い液体が指先から滴り落ちていく。
 血溜まりの中に立つコックは壮絶に綺麗だった。
 振り向いたサンジは ゾロの顔を見て呆けた後 不思議そうな顔をして何か話しかけたが、強くなる雨の音に遮られてゾロには聞こえなかった。



 頭を倒したルフィと合流し、三人は来た時のようにGM号に帰った。
 思ったよりスコールが酷かったのでお宝を戴くどころではなかったのだ。




 メリー号に戻るとナミが待っていた。
 サンジの被っていた血は雨で幾分流されてはいたが、まだそこかしこにこびり付いていてナミを驚かすのには充分だったようだ。
「サンジくん、怪我したの?大丈夫?」
 心配そうな顔をして 恐る恐る声を掛けている。
 ナミがサンジの頬に付いた血が傷ではないかと手を伸ばす。
 その手を軽く振り払ったサンジは何も言わず 無表情なまま 目だけをナミに向け、尻尾や耳は今も何かを警戒するように その毛を逆立てている。
 そんなサンジにナミは声が出ないようだ。

「おい、嵐になるのか?俺たちは何をすればいい?」
 嵐が迫っているというのに 伸ばした手を拒絶したサンジを見て放心してしまったナミにゾロが声を掛け
 その声に我に返ったナミが指示を出し GM号は嵐の中を進んでゆく。




 有能な航海士の指示により、GM号は無事スコールをやり過ごし。
 強く降り注いだスコールは仕舞い切れなかった甲板の荷物を海へと流し それと共に
サンジに掛かっていた血飛沫も綺麗に洗い流していた。
 ゾロは それぞれの持ち場を守るため離れ そのまま姿の見えなかったコックが気になっていた。
 風雨が収まると 直に探しに行く。
 探すといっても広くはない船の事、みかん畑の横で佇む金髪を見つけた。
 ゾロを振り返る顔は まだ無表情のまま。
 大きく溜息を吐いて近付くと 無表情の中、蒼い筈の眼が赤く光って見えた。
「!・・・飯だ。行こうぜ。」
「----」
 ゾロがサンジに伸ばした手は 跳ね除けられ、
同時にサンジの身体が後ずさり まるで戦闘中のような気を発し始める。
「おい・・・?。」
 サンジは 視線を外さないまま 口だけ笑う、
 しかし、その目には何の感情も見えず、血溜まりで戦っていた時のような冷たい光が有るだけ。
「コック?どうした?」
 もう一度伸ばした腕に痛みが走る。
 サンジは ゾロに傷を残した爪を口元に持っていき、ペロリと舐めた。





「チッ。」
 さっきの戦闘の時のような嫌な感じがする。
 飛び掛って来たサンジに刀を抜く。
 油断していた所為かよけた一発目の蹴りが 身体の横を過ぎた瞬間、左腕の皮膚が裂けた。
 当たりはしなかったが 蹴りの風圧で切れたのだろうか。
 サンジは猫のようにしなやかなのに 何時もよりずっと緩慢な動きでキレはない。
 攻撃してくるサンジは 隙が有りすぎると思う。
 まるで 止めてくれとでも言ってる様に。
 繰り出される蹴りを受けていると、キッチンの方から他のクルーの声が聞こえてくる。
 そう云えばさっき 船長が焼き上がった肉に齧り付きそうな勢いでナミを怒らせていたようだ。
 声の聞こえる方に サンジが目を向け、身体の向きを変えると ニヤッと笑った。
 狂気のような気配を纏い キッチンの方を向いたまま。
「どうした?」
「・・・・・。」
「おい。クソコック。」
「・・・・・。」
「・・・サンジ。」
「・・・・・!」
 弾かれる様に振り返った顔は どこか苦しそうに歪んで、後 すぐに先程の様な狂気を纏った笑いを浮かべ、キッチンに足を進めた。
 その歩みは躊躇う様にゆっくり、でも殺意を感じる気配を放って。
 このまま行かせれば 奴自身が後で後悔する様な事が起きそうな気がして、 
「待て。」
 掴んだ腕に向かって 振り上げられる脚。
 それを刀の鞘で受け止め 締まった腹に拳を入れると バランスを崩して目の前に現れた白い項に手刀を落とす。
 崩れ落ちる身体を 床につく手前で受け止める。





「ごめんな・・・・・。サンジ。」



 気を失ったサンジを肩に担ぐと 格納庫に向かう。
「・・・やっぱオメェ 強ェな。」
 ゾロの口からぼそぼそと呟きが洩れる。
 動きは緩慢だが 受けた蹴りはとても重いもので。
 自分でも受け方を誤まっていたら 確実に骨や筋を痛めていただろう。
 今日の蹴りは きっとサンジの手加減無しに繰り出されたもので・・・。
 普段仲間内で 小競り合いをする時にはもう少し軽い蹴りが飛んで来るのを思い出す。
 ・・・それでも 充分に強い蹴りなのだが・・・
 もっとも、そう思うゾロも 本気では相手しない。
 二人が本気で戦ったらメリー号は航海不能になってしまう事だろう。
 軽く済ませているつもりの今でさえ メリー号は被害を受けているのだから
 その度に 狙撃手は厭味の一つでも吐きながら 臨時船大工と化すのだ。



「手加減してやがったな。」

 気を失ったままの身体を壁に寄り掛からせ 瞼を閉じた顔を見て苦笑が洩れる。
 自分がやったとはいえ、意識のないサンジの顔は幼く見えて普段とのギャップに愛しさがこみ 上げる。
 密かに自分の好きな顔なのだ。
 もっともゾロはサンジであればどの顔も好きなのだけれど。


「早く 元に戻れ。」


「・・・テメェの声聞かせやがれ。」


「オメェの美味ェ飯 食いてぇ。」 


「周りに気ィばっか使いやがって・・・。」


「ちゃんと笑いやがれ・・・。」




「・・・俺を不安にさせんな。」


 返事のない相手に寄り添い 抱きしめながら呟く。
 まだ雨で濡れたままの金の髪に 手を差し入れ頭を胸に抱える。
 先程の酷いスコールはサンジに付いた血の匂いも流してくれたらしい。
 雨の匂いに混じった嗅ぎ慣れた匂いに 小さく安堵の息が漏れる。






「ルフィさん、Mr武士道、サンジさん気を付けて。」
「サンジ君・・・。」
 ナミさんが言わなかった言葉に俺は笑って頷いた。



 敵船に乗り込みいつもの様に戦闘が始まると 敵の顔色が変わった。
 若くて人数の少ない羊の船を 簡単に倒せると踏んでいたんだろう。
 束になって吹き飛んでいく仲間を見て顔色を変えやがった。
 髭を生やした小太りな男が船内に向かって 口笛を吹くのを見て振り向くと 中から 今まですっ飛ばした何倍ものヤロー共が現れやがった。

 ちぇっ まだ出てくんのかよ。ま、久々で運動にはいいけどな。

 余裕のあるのはここまでだった。
 最近戦いなど無かった所為か 息が上がる。
 まるで頭の中に心臓があるみたいにキリキリと ドクドクと頭が疼く。
 運動不足か?
 俺としたことが・・・。
 視界が斜が掛かった様に霞んだ。

 ヤベェ。

 そう思いながらも戦闘になじんだ身体は 敵意のする方に向かい蹴りを出す。
「見ろよ!!こいつ尻尾あるぜ。猫人間か!!へへへ、愛玩用の道具にちょうどいい。捕まえろ。」
  なんだと!このサンジ様を愛玩用にだと!
  この俺をそんな目で見んじゃねぇ。クソヤロォ!
 しわがれた声を聞いてムッとしたのと パンという乾いた鉄砲の音がしたのは ほぼ同時で 一瞬後 自分の額から冷たいものが流れた。
 白い甲板にポタリと落ちた血の色を見て急激に頭が強く疼いた。
 痛いほどの疼き。
 身体が熱い。
 同時に霞んでいた視界もクリアーになった。
 ただクリアーになったのはいいけれど 赤いフィルター越しに見ているようで。
 俺の世界は赤と黒だけになった。
 かかってくる奴らがスローモーションのようにゆっくりと動く。
 俺は蹴りを繰り出しながら 手でも相手を傷つける。
 大事にしている筈の手を 使うことに何の躊躇も無かった。
 ただ 敵を殲滅する事しかなかった。




「サンジ・・。」

 赤いフィルターが消える。



 白い剣先が 舞っている。
 気が付くとゾロが刀を鞘に納めて俺を見ていた。

 どうしたゾロ。
 何でそんな痛そうな顔で俺を見るんだ?
「何処か怪我でもしたのか?ダセェなぁ。お前の事だからほっとくつもりだろうが 早くチョッパーに見てもらえ。テメェが早く治るように 栄養のある特別食作ってやるよ。ありがたく思いやがれ。」

 そう言った筈なのにゾロは、不思議そうに俺の口元を見ている。


  ・・・あぁ、そうか俺は今話せないんだっけな。


 お前に食わす為の料理もつくれねぇんだよな。






 キッチンにも俺の居場所は無い。














 俺でもこんな時には役に立つんだな、 酷いスコールの中、オールを漕いだりとかには役立ったらしい。 ナミさんの指示を聞いただけだけど・・・と自嘲の笑いが洩れる。


 今の俺の居場所は・・ない、コックの仕事が出来ない俺は船にとって必要ない人間とも言える。
 連中の足手まといには・・・なりたくない。
 自分が足枷になるのだけは御免だ。
 ナミとウソップ、ビビも大分料理が出来る様になった様だし、自分が居なくてもやっていけるだろう。
 ・・もし次の島に着くまでに治らなかったら・・船を降りよう
 あいつとの約束は守れなくなっちまうけどな。
 元に戻ったら追いかければいい、広いグランドラインで逢えるかどうかは・・運次第だが、GM号の仲間は 夢と同じくらい かけがえのないものだ。追いかける価値はある。




 昨晩考えた事を反芻していると、ゾロの気配がした。
「飯だ。」
 伸ばされた手を払って ゾロから離れた。
 何だ俺?
 無意識に ゾロの手を払っちまった。
 あ、又だ。
 キリキリ、ズキズキと頭が疼き 視界が霞む。
 俺どうしちまったんだ?
 何かに意識が乗っ取られる様な感じで勝手に身体が動きやがる。
 そんな自分に苦笑したら口元だけが動いたような気がする。


  ゾロそんな顔すんな。
  焦った様なそんな顔。
  痛いような顔はしないでくれ。




 突然、先程の戦いがフラッシュバックする。
 赤に遮られず見えたそれは 血。
 助けを乞い逃げようとする者にまで この手にかけた。
 料理人の命だと思い大事にしている手まで使って。
 手を使うことに全く抵抗は無く 寧ろ切り裂く快感があった。
 急所を狙い振り上げられる手と脚。
 敵の首筋から噴き出る血飛沫を浴びた。
 倒れた何人もの身体の上で着地した柔らかい感触。
 髪から流れ落ちる他人の赤い血。
 湧き上がる殺意。
 血の匂いに興奮した。
 それを 俺は小気味いいと感じたんだ。


 今は吐き気すらするというのに。





「コック?。どうした。」
 再び伸ばされたゾロの腕に 爪を立てる。
 気付くとゾロの血を吸った爪を口に当てて舐めていた。
 鉄の味を舌に感じた瞬間 あの赤いフィルターが掛かり、頭に激痛が走る。
 身体が熱くなるのと同時に 刀を抜いたゾロに向かって回し蹴りを繰り出していた。  

  何でだよ。俺は、ゾロと戦うつもりなんて無いのに。
  テメェの身体じゃねぇみてぇだ。
  俺の身体・・勝手に動くんじゃねぇよ。クソッ。



 気合を入れて動きを止めようとしても身体はいう事をきかない。
 キッチンの方からナミさんやウソップたちの声が聞こえてきた。
 赤がいっそう強くなり、頭の中で獲物、と 何かがささやく。
 血を見る興奮に顔が勝手に笑う。

  熱ィ。身体が焼かれるようだ。
  ヤベェ。・・さっきみたいになるのか・・。
  お前達相手に・・・。
  ・・・畜生。止まらねぇ。
  俺は仲間を傷つけようとしてるのか。
  ・・・これは俺じゃねぇ。
  ゾロ・・・止めろ。 

 二つの心が俺の中でせめぎあう。
 頭が痛くて割れちまいそうだ。





  敵船から帰った時のナミさんの顔・・。
  あれはこんな俺を見たからだ。
  レディにあんな顔させちゃいけない。




「サンジ!」
 あぁ、俺の名を呼ぶ顔が歪んでいる。
 そんな情けない顔すんな。
 ・・・俺がさせてんだ・・・よな。

  ・・・ゾロ、ゾロ・・・。その刀で斬ってくれ。

  俺を斬って

  俺を止めてくれ。

 拳が鳩尾に入り 首筋に何か当たったような気がして俺は意識を手放した。
 ゾロは 倒れこむ俺をまだ痛そうな顔をして見ていたような気がする。






** ** ** ** ** ** ** ** ** 





 それにしても・・・ と、 ゾロは瞼を閉じたままの顔を見る。
 どうしちまったんだ。
 あの時コックはキッチンに向かって行こうとした。
 殺意を滲ませて・・・。
 でも狂気のような笑みの中 苦しそうな表情を時折見せ・・。
 ・・・コイツは仲間が傷付くのが嫌いな奴だ。
 身体はもちろん 心が傷付くのを恐れている。
 それを防ぐ為には 自分が傷付くのを厭わないくせに。
 バカな奴だ。もっとてめぇを大事にすりゃいいのに。
 まぁ、そこも奴のいいトコなんだけどな。


 目覚めたら 又、暴れようとするのだろうか。
 そうなった時の奴の落胆が眼に浮かぶ。
 それだけはさせられないと 強く思う。
「悪ィ。」
 サンジの首に いつかの首輪を巻きつけ 繋がった鎖は 隅の柱に固定する。
 まだ 瞼が開かないのを確かめると 格納庫を出てキッチンへと向かった。
 二人分の食事と酒を持って戻ると サンジの隣に座り 酒を煽った。


 直接口を付けた瓶の中身が半分より減った頃 サンジが身じろぎして 目を開けた。
「よぉ。目ぇ醒めたか?」
 掛けられた声に 眉を顰め 睨み付けてくるのは 先程の気配。
 のろのろと振り上げられる手が ゾロを狙う。
 虚ろな目をしながら 唇を噛締めるサンジを守りたくて
 簡単にかわす事の出来る攻撃を避け ゾロはサンジに手を伸ばした。
 頬がすっと切れ、生温い液体が流れる。
 それを見てサンジの眉がへにゃりと下がる。
 やはり 意識はあるのだ。
 何かに動かされながらも 抵抗しているであろうサンジの意識が見えた気がした。
「負けんな。」
「クソコック。」
「戻って来い。」
「てめぇは強ぇ男だろ。」
「俺は・・・隣を歩くのは・・お前だって決めてるんだよ。」
 一人で話し続ける俺に 苦しそうな顔をしながら抵抗の手を止めないサンジ。
「てめぇが てめぇじゃ無くなったら 俺はてめぇを斬って 俺も死ぬ。・・・安心して獣になっちまえ。」
 そう言って痩身を無理やり抱きしめた。
 隣にサンジのいない 大剣豪なんてクソくらえだ。
「何があっても 共に歩くんだろうが・・よ・。」
 蒼い目を見開きながらも 抵抗を続ける手は俺の背中を引っ掻き、顔を顰めた俺と 血の付いた爪を交互に見てサンジは涙を流した。





 ゾロの背に 傷を付けた俺。

 話せなくなって ゾロは俺に 言葉をくれるようになった。
 でも、自分が自分でない今、こんな甘い言葉が ゾロの口から聞けるなんて思ってもみなかった。
 嬉しいのに・・・・。
 俺の身体は 言う事をきかない。

 ゾロの頬から流れた血は 顎を伝い床に一点の染みを作った。
 ぎゅっと抱きしめられた背中に付けた傷は 俺には見えないけれど出血したみたいだ。
 赤い爪を見て 気が遠くなる。
 情けねぇよな、自分の身体一つ自由に出来ないなんて。
 俺を乗っ取った何かに 抵抗できないなんて・・・。

 筋肉の付いた、形良く逞しい ゾロの傷一つない綺麗な背中。
 その傷のない背中が 俺の誇りだったのに・・・それを自分で汚してしまった。
 その事実に 身が竦んだ。
 こんな弱ぇのは俺じゃねぇ。
 伸びた爪が掌に食い込むのを気にせずに ぎゅっと握り締めた。
 徐々に クリアになっていく視界。


 首に繋がれた鎖に どこかホッとする自分がいた。
 繋がっていりゃぁ クルーを手に掛けちまう事もないだろう。
 渾身の蹴りなら一発で切れちまうだろうが、気休めでも今はありがたかった。
 我に返って涙の止まらない俺を ゾロは足の間に座らせ 背中から抱きしめてくれた。
 左腕を胸の前から肩に回し 右手で優しく髪を撫でる。
 普段の武骨なゾロからは 信じられない繊細な指先。
 こんな関係になるまでは 知らなかった優しい腕。
 目に入るゾロの腕には 俺の付けたであろう三本の傷。
 流れ続ける涙が 拭われる事もなく頬を伝い ゾロの腕に落ちる。
 甘やかしてくれる 優しい腕。
 引き止めてくれる 逞しい腕。
 何があっても共に歩くと言ってくれた。
 彼の生き様を映す様に 躊躇いなく振るわれる刀を操る腕。
 柔らかいレディとは違うゴツイ腕なのに 心地よいゾロの腕。
 こんな マリモの腕で落ち着くなんて 俺も末期かな、と思う。
 でも、もう少しこのままで・・・。




 向かい合って トレーの上のすっかり冷めちまった 食事を口に運んだ。
 この数週間で ナミさんの調理の腕はかなり上達した。 元々呑み込みが早いんだろう。
 一度は失敗しても 次にはなんとなく形になり ・・・今では一般家庭でなら充分通用する程になっている。
 この肉のソースもなかなかの味だ。
 肉を頬張るゾロをじっと見ていると 目が合った。



「お前の飯くいてぇ。」
「・・・・。」
「お前の声・・・聞きてぇ。」
「・・・・。」

 俺だってゾロと話がしてぇよ。
 ゾロの身体を 唇を 指先で感じてぇよ。
 隣を歩くのは俺だと決めてる。って言ってくれたお前と話がしてぇ。
 俺も同じ気持ちだって 伝えてぇよ。




 ・・・でも、今の俺じゃダメだ。
 何かに負けちまうような、こんな弱ぇ俺じゃ お前の隣は歩けねぇ。
 無理して歩いても いつかどちらかが つまずくだろう。

 俺の中に巣食う何かを 追い出すか 制御出来なければ・・・・・・・。



「サンジ。」
 目を逸らし、俯いていた俺に暖かいものが触れた。
 伸ばされた手が俺の頬を撫ぜる。
 眉を寄せた どこか不安そうな目をしたゾロが 目の前にいた。
 うわっ。そんな顔すんな。
 温かい掌に俺の手を重ね 精一杯微笑んで見せた。
 ゾロは ホッとしたように 息を吐き 俺の顔を引き寄せ 抱き寄せた。
 頬に当たるゾロの胸からは 鼓動が聞こえ なんだか俺は酷く安堵した。


「今日は こうしててやる。」
 そう言うとコーナーに座ったゾロは、俺を足の間に座らせ、
 横向きに寄掛らせる。
 先程と同じように 丁度ゾロの胸から肩に俺の頭は埋まる。
 顔を上げるとすぐ間近に ゾロの顔が見える。
 斜めから見下ろすゾロは 俺の背中をポンポンとあやす様に叩きながら優しいキスを落とす。
 甘やかしてくれる優しい腕に 今日は素直に甘えようと思う。
 普段は照れくさくって、けして甘え上手と言えない俺だから・・・。
 甘えさせてくれる腕を自分から手放さない為にも 弱い俺ではいられない。


 明日の朝には 強い俺を目指すから、
 ・・・今日は素直に甘えさせてくれ。
 強い鼓動が耳を打つ。
 髪を撫でる優しい手のリズムに 強張っていた力が抜け、ゾロに身体を預けた。






 

「今日、島に着くってナミが言ってたぞ。」
 白んできた空が格納庫の 小さな窓から見える。
 ゾロに寄掛ったまま まどろんでいた俺の耳に 低い声がゾロの胸から響いてきた。
「俺にも買出しの手伝いしろってよ。喜べ、ナミの公認だぞ。」
「・・・・。」
「毎度毎度の荷物持ちだと。あと、買出しリスト頼むってよ。」
「にゃにゃにゃにゃにゃぁ」
 はぁ。と、溜息を付きながらも 目を細め、口元を綻ばすゾロを見たらつい笑っちまった。
 猫みたいにしか喋れねぇから 出来るだけ声は上げないようにしてたんだが・・・気が抜けてたのかもしれん。
 恥ずかしくて 慌てて口を押さえた俺の手を ゾロの手が口元から離し包み込んだ。
「てめぇの声 聞かせろ。どんなんでも いつでも 俺はてめぇの声が聞きてぇんだ。猫だってかまわねぇ。てめぇは てめぇだ。それでいい。」
 なっ・・・っ、真剣な顔して 覗き込みやがって・・・。
 こっちが照れるじゃねぇか。
「てめぇの声も好きなんだからよ。」
「にゃ・・・。」
「てめぇが静かだと 船が静かで気味ワリィ。活気がねぇっていうか・・・ナミもつまんなそうだしよ。」  
 ゾロの口から ナミさんの話題が出るとは思わなかった。
 俺がナミさんや ビビちゃんに関心を寄せる事を 快くは思ってなかった筈だ。
 ゾロにも みんなにも気を使わせてると思う。
 それに甘んじている自分は好きじゃねぇ。
「にゃ。」
 ゾロに口付けて 居心地のいい胸から出ると、シャワーを浴びる。

 軋んだ髪が 昨日の事を思い出させた。
 少し冷たいシャワーで俺は気を引き締める。







 俺は負けねぇ。
 お前の隣を 胸を張って歩ける男である為に。

 両手で自分の頬を数回パンパンと叩いて 頭をすっきりさせる。
 入れ違いに風呂場に行った時に見えたゾロの背中の傷は 幸い軽いものだったようだ。
 ゾロのジジシャツは 切れちまったみてぇだけどな。
 あれなら傷は残るまい。
 ほっとして ふと目に入った鏡に目をやると 見慣れた自分に何か違和感を感じた。
 先程ゾロが外してくれた首輪のあたりに影がある。
 傷とも鬱血とも違うそれは 小さな薄い黒い痣。
 ぶつけても 普通黒にはならねぇよな・・。
 ま、そのうち消えるだろうと、俺は深く考えず シャツを羽織り食材の在庫を見に行った。























 痣の事を想い出したのは、買出しに行った市場で人の良さそうな夫婦と話をした時だ。
 食材の仕入れが一息つき、薬屋に入った仲間を道の反対側で待っていた時。
「ちょっとすみません。」
 そう言って 季節外れの長袖を着た俺の腕を取り 袖を捲くった老夫婦は、皺の寄った目を見開くと顔を見合わせた。
 ぼぉ〜っと タバコを吸っていた俺は突然の事に されるがまま手を預けていた。
「何で・・・。」
 顔を見詰めあったまま、黙り込む老夫婦。
 俺の肩ほどの高さの二人は 先程野菜を買った店先でじっとこちらを見ていた姿と重なる。
「・・・・?」
 顔を覗き込んだ俺に 老人が話し始めた。
 ここは生涯一夫一婦制で不実は許されない事だから マンネリを防ぐために子猫の実が使われる事が極・稀に有るらしい。
 数年前 嫁いで数十年の娘さんが子猫の実を食し、それはそれは、綺麗な毛並みの黒毛に変化したそうだ。
 夫婦の危機は、元々娘さんの勘違いだったが 旦那さんの愛情を再確認し
 以前にも増して 娘夫婦は上手くいっていたらしいんだが、一年が経ち そろそろ効き目が切れ元に戻れるという頃。
 恐れていた事が起こった。
 娘さんが突然発狂して・・・死んだ・・・。
 子猫の実は、幸にも 不幸にも転がる。
 危険を承知して尚、使うことで 愛情の深さを伝え。
 子猫の仕草になる事で 慈しむ心を想い出させ。
 そして、無事人の姿に戻る1/3以外の人は 大抵は発狂し死へ。
 また、夫婦の絆を取り戻してもその後、相手に逝かれてしまい 絶望する残された者。
 老夫婦は 悲観した義理の息子にも旅立たれてしまったそうだ。
 知らずに食べちまった俺に 老夫婦は手を握り少しだけ涙を流した。


 でもさ、娘さんは不幸じゃなかったと思うぜ。
 旦那さんの気持ちを手に入れて、死んで尚想われたんだ。
 結果、残された者は 不幸になったかもしれねぇが、娘さんは幸せに逝けたんじゃねぇかな。
 俺はそう思う。

 老婦人が差し出した紙に走り書きしてみせると 品の良さそうな婦人は小さく微笑んだ。
 手に持った鞄から何かを取り出すと 老人と目を合わせ頷き合う。
「これ、娘の持ってた物なんだけど・・・。貴方持っててくれないかしら。」
 掌に載せられた小さなそれは 雫型のペンダントトップ。 
 お守り代わりにね。と、黒い毛に覆われた俺の掌を皺のある小さな掌で覆った。





 気になったのは別れ際に言われた言葉。
 娘が調子を崩す直前、首に黒い痣を見付けたの。
 何かの予兆かもしれないから・・・だから貴方は 気を付けて。気を強く持ってね。

 貴方と似てたのよ と差し出された写真の中で微笑む娘さんは、
 雫型のペンダントを身に付けた 気品に溢れた整った顔立ちの穏やかそうな女性。
 年上のその娘さんと俺は 金髪蒼眼なトコしか似てないぞ、と 何処か上の空で思った。







 買出しを済ませ、GM号に戻って鏡を見る。
 男にしては白い肌に 痣は濃くなって存在を主張している。

 昨日から自分が自分でないようなあの感覚はこの所為だったのだろうか・・・。
 ふるふると首を振って 気分を切り替える。
 折角買った食材を新鮮な内に 処理しなくては。
 疲れたというナミさんを休ませてあげたいが、今日は聞かない振りをする。
 航海は順調に進むのが理想だが 何があるか判らないのが航海であり ましてやここはグランドラインなのだ。
 次の島で補給出来るとも限らないし 何日も凪が続き足止めをくう事もある。
 船では食料が宝になる事もある。
 ガキの頃の体験で身をもって知った事だ。
 俺が船を降りても 困る事のない様に食材を整理しておきたかった。
 ナミさんとウソップ、ビビちゃんが調理しやすいようにしておいてやりたかったのだ。
 一仕事終え、サンジは甲板の手摺に背中を預けてGM号を見渡す。
 自然と痣があるであろう場所を手で押さえる。
 このまま俺は 狂っちまうんだろうか。
 言い知れぬ不安が込上げる。
 狂った俺は仲間に手を掛けちまうんだろうか?
 狂った俺を見て仲間はどんな目で俺を見るんだろうか?
 駆け出して逃げ出したい気持ちに駆られる。



 思考が途切れたのは 船尾で眠る緑頭を見付けたから。見張りと称しながら船尾で鍛練し 何時もの様に寝てしまったゾロが転がっている。
 頭の下に敷かれた逞しい腕を見て昨日の夜を想い出す。




 俺は負けない。

 あの腕に、背中に誓った。
 ・・・俺が勝手に誓っただけだけどよ。
 お前の隣を歩ける俺であるために・・
 逃げるんじゃない、俺はここに戻ってくるんだ。





 数日前、次の島に着くまでに元に戻れなかったら船を降りると決めた。
 あの時より 明確な答えが俺の中にある。
 ここが、お前の隣が、俺のいる場所。これからもいるべき場所なのだ。
 それに見合う俺で居ればきっと又・・・会える。

 駆け寄って逞しい腕に触れたい気持ちを抑えて眼を閉じると溜息が出た。
 何時もなら煙と共に吐き出す溜息を空に向ける。
 太陽が水平線に近づいて 空が朱に色付き始めている。
 瞼が熱くなり歪んで見えはじめた水平線を目の端に追いやると
 サンジはキッチンに足を向けた。










 久々の調理は楽しいものだった。
 やはり自分は料理人なんだと実感する。
 音を立てないように飛び込んだ海はまだ肌寒くて体温を奪っていく。
 途中諦めたくなる誘惑を振り切って島へと泳ぐ。
 頭上にあった細い月は 泳ぎ着く頃にはすっかり水平線に近付いていた。






 空が白む頃、船上からゾロと見た薄紅色を目指して足を進める。
 時折想い出したように ポケットから出してキスをするペンダントトップは、ゾロのピアスに良く似ている。
 今頃船では俺が居ない事に誰か気付いているんだろうか。
 寝汚い剣士は気が付かず まだ夢の中だろうと思って小さく笑った。







 昨日よりも強い赤に染まる視界。
 俺は負けない。
 たどり着いた紅色の中でグッと手を握り締めた。
 薄紅色の筈のそれは 今の俺には紅色に染まって見えて・・・。
 俺の中で爆発しそうなモノを堪える。
 瞼を閉じて 甲板から薄紅色を見詰めていた穏やかなゾロの顔を思い起こす。
 剣士とした小さな約束を果たすため 負けてはいけない。
 発火しそうな程熱い身体を 抱きしめゾロを思った。
 伸びた爪が皮膚に食い込む痛みより、胸が痛む。



 どこかに持って行かれちまいそうな意識の中、
 悠然と刀を構えて敵に立ち向かうゾロの背中が 俺の前に見えたような気がした。





fin